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「夢で逢えたら」と「桜の木の下には」―震災後文学論序説(1)

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夢で逢えたら

 NHKSONGSプレミアム「薬師丸ひろ子」を観ました。

  「潮騒のメモリー」はもちろん,「セーラー服と機関銃」「メイン・テーマ」「探偵物語」「Woman“Wの悲劇”より」などの懐かしのヒット曲。

薬師丸ひろ子の人生哲学が伝わってくる貴重なインタビュー映像。

 何を隠そう,高校時代に薬師丸ひろ子相手役オーディションに応募し,見事に書類審査で落とされた経歴があるこのワタクシ。

「あまちゃん」ブームなどと無関係なところで,大いに興味を抱き,じっくりと番組を楽しみました。

 特に印象に残ったのは,「故郷」「秋の子」「黄昏のビギン」などのカバー曲です。

 震災直前の2011年3月2日に歌手生活30周年を記念するベストアルバム「時の扉」を出している薬師丸ひろ子ですが,これらのカバー曲は震災後の2013年12月にリリースされています。

 そのためなのか,聴く側の私がそう感じてしまうためなのか,カバー曲の選択には震災との関連を感じざるを得ないものが含まれています。

 たとえば「故郷」。

 たとえば「夢で逢えたら」。

 アルバム「時の扉」の最後に収録されている大滝詠一作詞・作曲の「夢で逢えたら」についてSONGSプレミアムのナレーションは,あたかも昨年12月30日に亡くなった大滝詠一へのメッセージであるかのように紹介していましたが,収録されたのは生前のことですから,歌った時の薬師丸ひろ子にはそういう意識はなかったはずです。

 放送することによって,大滝詠一へのメッセージという意味を持ってしまったとしても。

 夢でもし逢えたら 素敵なことね
 あなたに逢えるまで 眠り続けたい
 
 あなたは わたしから遠く離れているけど
 逢いたくなったら まぶたをとじるの

 いったいこれはどういう歌なのでしょうか。

 もちろん,遠距離恋愛の歌であると考えることもできます。

 でも,「あなたに逢えるまで 眠り続けたい」という思いは,現実の世界では決して逢うことができないからこそであると考えることもできます。

 そう考えると,大瀧詠一の生前にこの曲をカバーした薬師丸ひろ子が聴き手として想定していたのは,震災の犠牲者ならびにその遺族だったのではないかと思えてくるのです。

 朝ドラの「あまちゃん」で震災の犠牲者に向けて強いメッセージがあからさまに表現されることはなかったわけですが,軽妙なセリフ回しで構成されるユーモアに満ちた場面の中には巨大な悲劇がくっきりと影を落としていて,だからこそひしひしと伝わってくるものがありました。

 同じように,明るい曲調の「夢で逢えたら」の歌詞にも,現実世界では決して逢うことができなくなってしまった人,夢で逢うことを願うしかない人,すなわち死者への哀惜の念が満ちているように思えます。

 「故郷」や「夢で逢えたら」のように震災の前に書かれた歌詞であっても,震災後という文脈の中に置かれることによって新しい意味が付加されることがあるわけです。

 うさぎ追いしかの山
 小ぶな釣りしかの川
 夢は今もめぐりて
 忘れがたき故郷

 逆に言えば,これまでに書かれた文学の中には,一見すると無関係に見えるけれども,じつは震災の傷痕がくっきりと刻印されているものがあるはずなのです。

桜の木の下には…

 梶井基次郎「桜の木の下には」は,桜を描いた近代文学の名編として有名です。

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 散文詩のようなこの小品が発表されたのは,1928(昭和3)年のことです。

 1923(大正12)年の関東大震災の5年後のことです。

 しかも,震災の年に梶井基次郎は京都にいました。

 東京に転居したのは,震災翌年の1924(大正13)年のことです。

 そんな梶井基次郎の「桜の木の下には」を関東大震災と結びつけて解釈するなどということは,これまでまったく考えられてこなかったことです。

 でも,東日本大震災から3年余りを経た今の私には,この小品が震災後文学に見えています。

 岩手からも宮城からも福島からも離れた場所で生きて来た私の実感からすると,震災当日に被災地から遠く離れた京都にいたとしても,時間的に5年の隔たりがあったとしても,震災が梶井基次郎の精神に影を落とすということは,十分にあり得ることだと思えるのです。

 もちろん,メディアを通して伝えうる情報の質は,当時と今とではまったく異なります。

 しかし一方で,被災地の外に留まり続けている私とは異なり,梶井基次郎が被災地である東京に移住していることは見逃せません。

 あちこちに震災の傷跡を残しながらも,復興への歩みを始めていたはずの東京で,いったい何を見て,何を聞いたのでしょうか。

 震災後の東京に何を感じたのでしょうか。

 私なりに想像してみると,生々しい記憶をともなっていたはずの関東大震災という現実が,梶井基次郎の精神に影を落とした可能性をどうしても考えざるを得ません。

 そしてそういう精神の持ち主が,復興のために都内各所に植えられたソメイヨシノから受け取ったヴィジョンが,「桜の木の下には」という特異な表現に結実したのではないかと思うのです。

(つづく)

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