ある研究者の論文を専門を同じくする研究者が値踏みして採否を決める「査読」というシステムについて、再検討が必要だという声を耳にすることがある。たとえば「研究者が研究者の論文を評価するということ」(2007年5月『日本近代文学』第76集)で宗像和重は、「「外部評価」の必要性が喧伝されている時代」であるにも関わらず、文学研究誌において「閉じられた『内部評価』が維持され続け」ていることに疑念を差し挟んでいる。論文の価値を誰がどのような尺度によって測るのか、また、査読の客観性や公平性をどのように担保するのかという問題に通底する疑念である。
ほとんどの文学研究は、新しい価値を付加した商品を流通させて大きな利潤を生み出すような性質のものではないから、社会的な影響力の大小や商品価値の多寡によって論文を評価することは困難である。つまり、そもそも「外部評価」になじまない研究領域であり、「研究を評価することについての私見」(2007年11月『日本近代文学』第77集)で小林幸夫が言うように、「近代文学研究の成果としての論文」を「研究の歴史や研究の現状において批評・評価」することは「研究に身を置いている者でないとできない」ものなのだ。
「査読」とはピア・レビュー(peer review)であり、仲間内の相互評価システムに他ならない。
このような状況に対する苛立ちが、かつての石原千秋をして「市場原理の導入」によって「商品価値のない論文や発表には退場してもらうのがいい」(2001年5月『日本近代文学』第64集)いう暴論に走らせたのだろう。
しかし一方で、たった十人しか専門の研究者がいない小さな学会があったとしたら、機関誌の査読に客観性や公平性を期待するのが困難であることも確かだ。科研費を得ているかどうかとか、被引用回数などの「外部評価」を導入することはできるが、たった十人しか専門家がいない研究分野についての科研費の審査や、仲間内の被引用回数が適切な「外部評価」と言えるかどうかは甚だ疑わしい。十人が百人や千人に増えたとしても、同じような疑念が生じることは原理的に避けられない。市場原理の導入が暴論だとすれば、文学研究論文の価値評価の妥当性をどのように担保することができるのだろうか。これはなかなかの難題である。
結局のところ、価値を生み出す根拠に見いだされるのは、「査読あり」の研究誌に掲載されたという事実であり、「価値があると見なされているという現実が価値を担保する」というウロボロス的な構造なのかもしれない。
かくのごとき研究論文の価値についての難題は、研究対象である文学の価値をいかに創出するかという問題においても同じように見いだし得るはずである。第148回芥川賞(平成24年度下半期)を受賞した黒田夏子の「abさんご」(2012年9月『早稲田文学』)のような小説の価値はおそらく、一般読者による「外部評価」的なまなざしによってではなく、同じく小説の書き手である「作家」(選考委員)による「内部評価」的なまなざしによってこそ高く評価されうるのだ。
ところが文学的な価値を創出するはずの文学賞の選考は、一方で「作家」の商品価値のような市場原理的な尺度の影響を受けざるを得ない。もちろん「abさんご」の場合、多年にわたる研鑽が結晶した小説表現が至芸として評価されたということもあるのだろう。しかし、ひらがなを多用した横書きの小説表現という一般読者にもわかりやすい特徴と、75歳という年齢での最年長受賞という話題性が先行して『文藝春秋』の売り上げを伸ばしたという側面があることも否めないのだ。
そもそも文学賞は、文学というものが成立し、書物が商品価値を持って流通し始めるという現実を前提として生まれたものである。紅野謙介が『投機としての文学―活字・懸賞・メディア』(新曜社 2003年3月)の中で明らかにしたように、近代文学の草創期に自分の原稿が活字になることを欲望する人々が参画する投書雑誌のような場が生まれ、金銭的な利得だけではなく文学市場に参入する「作家」の資格を認定する場としても機能する懸賞小説のような制度が出現した。
さらに、資格試験をパスして自分の原稿を活字化する権利を得た「作家」は、文学市場において固有名として流通し、活字に対する欲望を抱えた読者層にとって羨望の的となっていく。すなわち文学は、「投機と冒険の対象となった」のである(前掲書「はしがき」)。
やがて大衆社会の出現にともなって文学市場が量的に拡大し、個々の文学の卓越性が商品価値によって評価されるという事態が生じた。また、新人作家が次々に生まれる状況の中で、新たな作品を生み出せなくなった物故作家の価値が、相対的に切り下げられるという状況をも招いた。そのようなときに、芥川龍之介や直木三十五のような固有名を冠して物故作家の業績を顕彰するとともに、新人作家を発掘し、文学市場へのイニシエーションとしての機能をもあわせ持つ文学賞が生まれたのだ。
文学賞は、商品価値とは異なる文学的な価値を創出し、文学市場において個々の作家が自らの卓越性を顕示することを可能にした。また、授賞する側の出版社や選考する側の「作家」の権威をも再帰的に創出した。
ただし、これらの構造のすべてが、文学市場に回収されざるを得なかったということが、近代文学の宿命であったことも見落とすべきではない。商品価値とは異なる価値を創出する装置として誕生したかに見える文学賞は、はじめから文学市場の中に根こそぎ組み込まれてしまっていたのである。
眉目麗しい女性作家のダブル受賞と最年少受賞記録更新で注目を集めた第130回芥川賞(平成5年度下半期)や、著名な仏文学者を父に持つ才媛に対峙する中高年フリーターの露悪的なキャラクターが共感を呼んだ第144回芥川賞(平成22年度下半期)などが、受賞作掲載誌である『文藝春秋』の売り上げを大きく伸ばしたという現実は、文学賞が文学市場を拡大してくれるという期待に見事に応えた実例である。
こうした先例がさらに文学賞のありようを縛っていくことになるであろうことは想像に難くない。キャラが立つ話題性のある作家に賞を与えてダブル受賞で盛り上げるというビジネスモデルがいつまで通用するのかはわからないが、文学市場が多品種少量生産の時代にシフトし、書物の流通のあり方が激変しているにも関わらず、受賞作が文芸大手五誌の掲載作ばかりになっている昨今の芥川賞を考えると、およそ50%だった視聴率が十数%に下降している日本レコード大賞と同じ程度に存在感が霞むのも、そう遠い将来ではないように思えてくる。
いや、もしかしたらすでに芥川賞作家は、流行語大賞の発表とともに一発屋の烙印を押されては消費されていく芸人のような存在になってしまっているのかもしれない。大森望と豊崎由美による『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(PARCO出版 2004年~)や小谷野敦の『文学賞の光と影』(青土社 2012年7月)、川口則弘の『芥川賞物語』(バジリコ 2013年1月)のような著作の刊行が相次いでいるのも、文学的価値と商品価値のねじれを内に抱えたまま延命を続けてきた文学賞が、近代文学を支えてきたプラットフォームの制度疲労とともに変質を余儀なくされているという現実の反映だろう。
付言しておけば、文学懸賞が植民地における「日本語文学」の書き手にどのように「中央文壇」への欲望を喚起したか、文学懸賞が生み出した「植民地文壇」がどのように変容を余儀なくされたのかを論じた和泉司の『日本統治期台湾と帝国の〈文壇〉―〈文学懸賞〉がつくる〈日本語文学〉』(ひつじ書房 2012年2月)のような仕事が投げかけている問題も十分検討に値する。初期の芥川賞に帝国主義的な地政学を反映するかのような受賞作が散見されることを踏まえれば、中国人作家の楊逸による「時が滲む朝」(2008年6月『文學界』)に第139回芥川賞(平成20年度上半期)が与えられたという出来事には、話題作りということだけでは済まない問題が孕まれていると考えるべきだろう。
このように考えてくると、再帰的な関係性を孕みながら価値を創出し続けてきた作家と文学賞について検討を加えていくことが、文学の価値とは何かというラディカルな問いを伏在させながら近代文学そのものを問い直していくことにも繋がる興味深い課題であることは明らかだ。こうした問題に十人の論者が挑んだ『新人賞・可視化される〈作家権〉』(2004年10月『近代文学合同研究会論集』第1号)のような研究が、より多くの研究者によって展開されていくことを期待したい。
※『昭和文学研究』第67集(2013年9月)掲載の「研究展望 作家と文学賞―文学の価値はいかに創出されるのか」草稿(2013年3月31日脱稿)