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川島幸希著『国語教科書の闇』と定番教材の誕生

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川島幸希著『国語教科書の闇』

 昨夏,見事な筆致で宛名書きされた大きな茶封筒が届きました。

 送り主は川島幸希さん

 封筒の中には,理事長・学長を務める秀明大学で開催された「芥川龍之介展」のパンフレットとともに,新潮新書から御著書が出ることとを記したお手紙が入っていました。

 「学恩云々…」というフレーズが含まれた文面には,新しく出る御著書が,サバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)という観点から国語教科書の定番教材について論じた私の論考を踏まえて書かれたものであることが記されていました。

 たいへん恐縮しました。

 しばらくすると『国語教科書の闇』という新著が届き,たしかに私の論考を大きく取り上げて下さっていることがわかりました。

 重ねて恐縮しました。

 御著書の中には,たとえば,こんな記述がありました。

 野中氏は教科書の定番教材研究のパイオニアで、二つの論文「定番教材の誕生『こころ』『舞姫』『羅生門』」(筑摩書房の教科書サイト「ちくまの教科書」)と「敗戦後文学としての『こころ』」(『現代文学史研究』第2集,2004年)は、本書執筆の動機付けにもなった先駆的業績である。

 野中氏の言葉を借りれば、定番教材には「戦争という大きな災禍を生き延びた者が抱え込んでしまった“サバイバーズ・ギルト”(生存者の罪悪感)という問題」が横たわっているという。戦後の日本人の精神のありようにまで踏み込んだ、誠にスケールの大きな仮説と言えよう。

 もちろん,新書とは言え,研究者が書いたものですから,手放しで賞賛しているわけではなく,川島幸希さんの考え方との違いを鮮明に示すために,むしろ批判的に言及されているところもあります。

 でも,批判されているということは,私のつたない論考を一人前の論文として扱って下さっていることを意味するわけで,有り難いことであることに変わりはありません。

生き残りの罪障感というモチーフ

 第五章「定番小説はなぜ『定番』になったか」の冒頭部分で川島幸希さんは,「エゴイズムはいけません」という「道徳的メッセージ」を教えることができるところに定番教材の特質があるという石原千秋さんの主張(『国語教科書の思想』)を批判します。

 25人の現役教員に尋ねた結果,「エゴイズムはいけません」という道徳的メッセージを教えるために「羅生門」や「こころ」や「舞姫」を教材とした教員はいなかったということが論拠です。

 次いで「定番教材の誕生」の次の部分に焦点をあてながら,118ページから122ページにかけて私の論考を丁寧に紹介して下さっています。

 3つの定番教材に共通しているモチーフとして、「死者の犠牲を足場にして生きることでイノセント(無垢性)が損なわれ、汚れを抱え込んでしまった生者の罪障感」という問題を抽出することができます。

 こうした文言を引用しながら川島幸希さんは,「芥川・漱石・鴎外は、このような意図の下に小説を執筆したのであろうか」という問いを立てた上で,反証をあげて自らの主張を展開していきます。

 「羅生門」の老婆の言葉を引用し,「この文章からは、老婆に自己の行動に対する自責の念や償いの感情、すなわち罪障感があったとは全く読み取れない。あるのは自己弁護と言い逃れだけである」と書いています。

 また,老婆から衣服をはぎ取って羅生門のはしごを瞬く間に駆け下りた下人にも,「『罪障感』のかけらもない」と述べています。

 さらに,「下人の行方は誰も知らない。」という結びが当初は「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」となっていたことを踏まえ,「芥川は少なくとも当初、悪を肯定する人間として下人を描く意図を持っていたことになる」とも指摘しています。

「モチーフ」という言葉

 作中人物や語り手が語っている内容を,短絡的に芥川龍之介という作家の「意図」に結び付けることはできないので,じつは川島幸希さんの論証自体に危うさが孕まれています。

 でも,そのことよりもむしろ「受容史」という観点で展開していたつもりの私の主張が,「作家の意図」の問題と誤読されていることに愕然とさせられました。

 誤解されて批判されることほど切ないことはありません。

 そしてその原因はおそらく,川島幸希さんの側にはなく,私が不用意に「モチーフ」という言葉を使ったことにあります。

 モチーフ(motif)とは「動機・理由・主題」という意味のフランス語ですが,外来語としていくつかの意味で使われます。

 たとえば「美術作品を表現する動機やきっかけとなった観念。中心的な思想」という意味があります。

 あるいは「音楽の楽曲を構成する最小単位で,特徴的なメロディーやリズムの連なり」を指すこともあります。

 音楽における用法からの類推なのでしょうけれど,「壁紙や編み物などの装飾美術において模様を構成する単位」を指す場合もあります。

 同様に,文学において「物語を構成要素する事象や出来事,詩を構成する特徴的なパターン」を指すこともあります。

 私の気持ちとしては,語り手の語り口や作中人物の言動の向こう側に,受容する側が感受してしまう,物語を駆動する“力”,テクストを前にした読者の心に物語を生成させる「内部的な衝動」(motive)というようなニュアンスで書いたつもりでした。

 でも,「モチーフ=動機」と考えることもできますから,川島さんのように「執筆動機」と解釈し,そこから「作家の意図」の問題を導き出してしまうという誤解が生じる可能性があることを想定すべきでした。

 おそらく「モチーフ」という言葉を使うべきではなかったのでしょう。

 私が言いたかったことは,夏目漱石や森鴎外や芥川龍之介が,サバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)に対して許しや癒しを与える「意図」を持って「こころ」や「舞姫」や「羅生門」を執筆したということではありません。

 問題は,それらの小説を受容する人たちのサバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)であり,定番教材を受容することを通して生成する許しや癒しであり,それらの背後にある敗戦後を生きる日本人の情念でした。

 川島幸希さんは「野中説でむしろ私が同意できるのは、『羅生門』『こころ』『舞姫』を教科書に採録した編者たちの思想や心のありようの変化である」(135ページ)と書いて下さっているのですが,私の主張の主眼はじつはまさにその点に置かれています。

 「作家の意図」など初めから問題にするつもりはありませんでした。

 川島幸希さんの御著書を読みながら,文章を書いて人に伝えるというのは,ほんとうに難しいことだと反省させられました。

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