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特別寄稿「魂のいちばん深いところ」を読む―村上春樹のスピーチは不遜?

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村上春樹がつい「先生」と呼んでしまう人

 『考える人』2013年夏号(新潮社)に掲載された村上春樹の特別寄稿「魂のいちばん深いところ―河合隼雄先生の思い出」を読みました。

 河合隼雄物語賞・学芸賞創設記念の「公開インタビュー in 京都―魂を観る、魂を書く―」(2013.5.6)の冒頭に行われた20分あまりのスピーチをもとにしたものです。

 おそらく多くの人が気づくことですが,「平成の漱石」などと言われることもある村上春樹の「スピーチ」の冒頭部分は,「こころ」の書き出しを下敷きにしています。

 僕は誰かのことを「**先生」という風に、先生づけで呼ぶことってまずないんですが、河合隼雄さんだけは、いつでもつい「河合先生」と呼んでしまいます。「河合さん」とはあまり言いません。(村上春樹「魂のいちばん深いところ」)

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。(夏目漱石「こころ」)

 意識的に似せたということなのか,無意識的に似てしまったということなのか,いずれにしても2つの文章は明らかにシンクロしています。

 似ているのは冒頭部分だけではありません。

 「こころ」の冒頭部が「筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」と続けられていて,遺書の中で親友のことを「K」という「よそよそしい頭文字」で記した「先生」に対する批判になっているということは,ずいぶん前から指摘されています。

 「K」とのあいだに起きた出来事を語った「こころ」の下編「先生と遺書」をまるごと否定するようなことを,遺書を読んだ上で書き始めた手記の冒頭に「私」(=青年)は書きつけているわけです。

 同じように,村上春樹のスピーチも,すでに死者となった「先生」の顔に泥を塗るような内容を含んでいます。

 ぼんやりしていると読み過ごしてしまうのですが,よくよく考えるとそこには何か冷え冷えとしたものさえ感じられます。

 「ハルキストではなく,村上春樹の愛読者である」と思っている私にとって,こういうところはちょっと見過ごすことができないのです。

 たとえば,河合隼雄の第一印象について,村上春樹は次のように語っています。

 初対面の印象は「ずいぶん無口で暗い感じの人だな」というものでした。いちばんびっくりしたのはその目でした。目が据わっているというか、なんとなくどろんとしているんです。奥が見えない。これは、言い方はちょっと悪いかもしれませんが、尋常の人の目じゃないと僕は感じました。何かしら重い、含みのある目です。

 原文では「どろん」「含みのある」に傍点が付いています。

 前者は読みやすくするためなのかもしれませんが,後者は特別な意味合いで使っているということに注意をうながすための傍点であるように見えます。

 だとすれば,「どろん」の方も,必ずしも悪い意味ではなくて特別な意味合いで使っているということを読み手に伝えようとしているのかもしれません。

 スピーチではどのような口調で語られたのかはわかりませんし,生で聞いた人たちがどのように受け止めたのかもわかりません。

 悪意よりも愛情を感じた人もいるのかもしれません。

 しかし,文字として読む限りにおいては,かなり無礼な感じがすることは否めません。

 相手は死者ですし,そもそも故人の業績を顕彰するための学術賞創設記念のイベントです。

 全体の文脈を読むと河合隼雄という存在に対する敬意を表すスピーチであると解釈できないことはないけれども,部分的な表現をピックアップすると,全体の文脈とは矛盾する情念があからさまに表出されているように見えるのです。

 まるで, 麻生太郎副総理兼財務相の「ナチス発言」のように。

 もちろんスピーチを読み進めていくと,このときの「どろん」とした「含みのある目」は,河合隼雄という心理療法家の職業的な作法によるものだったという見方を提示してフォローはしています。

 しかも,『アンダーグラウンド』のインタビューのときのように,「僕自身ときどき同じようなことをする」と言って,共感すらしています。

 しかしこの「共感」も,受け取りようによっては,ちょっと非礼なところがあると思えるのです。

村上春樹はなぜ死者の顔に泥を塗るのか

 年長の死者に対する文章という点が同じであるせいか,私がついつい想起してしまったのは,「ある編集者の生と死―安原顯氏のこと」(『文藝春秋』四月号)です。

 2人のあいだに何があったのかはわかりませんが,活字媒体を使って一方的に死者の批判をする村上春樹のやり方は,死人にムチ打つような,どうにもアンフェアなものなのではないかと感じたものです。(「村上春樹の生原稿流出事件をめぐって」

 今回のスピーチでは「どろん」発言の他にも,死人にムチ打つとまでは言えないにしても,故人の業績を顕彰する場にはふさわしくない発言がありました。

 ここだけの話ですが、僕はいまだに河合先生の本をほとんど読んでいません。僕が読んだのは、先生の書かれたユングの評伝と、岩波新書から出ている『未来への記憶』という短い自伝的な語り下ろしの作品だけです。ちなみにカール・ユングの著作も、まだ一冊も読んだことはありません。

 読んでいないということだけではなくて,「たびたび会って話をして、でも何を話したかほとんど覚えていない」とも言っています。

 にもかかわらず,魂のいちばん深いところにある「物語」というコンセプトを共有していたという「物理的な実感」があったと述べています。

 ちゃんと勉強したわけではないけれど,自分は独自のかたちでユング心理学の神髄をつかみとっていて,それがたまたま心理学者の河合隼雄さんが達していた境地と同じだったと言っていることになります。

 先ほどの「どろん」とした目の話と同じで,「共感」していると書きながら,故人と自分を同じレベルに配置する語り口であるという見方もできるわけで,「河合隼雄物語賞・学芸賞創設記念」スピーチとしてはいささか謙虚さに欠ける不適切な発言であると言うことができます。

 もちろん,顕彰すべき故人の著作をまともに読んでいないと発言することも,少しばかり無礼な発言です。

 短いスピーチなのですから,こういうことにあえて言及しなくてもよかったはずです。

 一方で,これは,何というか,いかにも村上春樹らしい発言であると私は感じました。

 おおざっぱに言うと,河合隼雄のような年長者によって形成された,言いかえると父の世代の日本人によって構築された国内的な権威に対して村上春樹は,シニカルに黙殺するというポーズを取るところがあります。

 まるで,親から話しかけられてもブスッとして何も答えない反抗期の青年が,そのまま大人になったかのような振る舞いです。

 村上春樹にとっての“父”“というのは,とても興味深くて大きな問題なのですが,河合隼雄との関係を語った今回のスピーチにも,明らかにその問題が影を落としていると感じられました。

 愛憎半ばする“父”に対するコンプレックス(心的複合体)が,反復強迫的に非礼だったりアンフェアだったりする振る舞いを招き寄せてしまっているようにも見えます。

 だからこそ村上春樹のスピーチは,故人に向きあうイベントの場で小説家が口にしたとは思えないような,「魂のいちばん浅いところ」から発せられた次のような言葉で締め括られているのではないでしょうか。

 最後になりますが、河合先生のご冥福をお祈りしたいと思います。そしてこの河合隼雄賞が長く続く、意味のある賞になることを祈っています。先生には本当にもう少しでも、一日でも長く生きていていただきたかったんですが。

 型どおりと言えば型どおりですが,このスピーチの最後がこのような言葉であることに,私は何かいわく言いがたい違和感を覚えました。

 おそらく私のこのような感じ取り方は,一般的なものではなく,少しばかりひねくれた受け止め方であるに違いありません。

 ただ,村上春樹の愛読者であるがゆえに,こんな風に感じたということについて,少なからずブルーになってしまったわけで,自分のためにも,そのことを書き残しておくべきだと考えたわけでした。

 『考える人』でスピーチを読んだ方,あるいは実際にスピーチを聞いた方,どんな風に感じたのでしょうか?

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