競争ではなく協働
内田樹さんが『街場の教育論』(2008年)の中でキャリア教育について持論を展開し,「就職活動で、学生たちはそれまで自分たちが『競争』の過程で教わってきたこととはぜんぜん違う基準で選別されるという経験をします」と述べています。 社会的活動,あるいは労働というのは,「競争」ではなく「協働」だと言うのです。
「労働」の場とは言い換えると「協働」の場のことです。 そこに求められるのは受験校の教室で求められているような「一人だけを際だたせ、周りの人間を凡庸で愚鈍な人間に見せる」知識や技術ではありません。逆です。その人がそこにいると、その感化力で、周りにいる人たちが少しだけ元気になって、少しだけ輝きを増すような、そういう「集団のパフォーマンスを高める知識と技術」が何よりも求められている。
同じことを,次のようなわかりやすいたとえ話で説明しています。
ヤマダくんはある教科でいつも100点をとる。スズキくんは80点しかとれない。でも、0点ばかりとっている隣のサトウくんを気の毒に思って、やり方を教えたので、サトウくんは30点がとれるようになった。100点のヤマダくんが80点のスズキくんより高い評価を受けるのは、受験では当たり前のことです。でも、労働の場では違います。労働の場ではスズキくんの点数には、「彼の支援でパフォーマンスが上がった人の点数」が加算される。だからスズキくんはヤマダくんより上位に格付けされる。
1人で100点の貢献をするヤマダくんよりも,仲間と一緒に80点+30点=110点の貢献をするスズキくんの方が「協働」の場では高く評価されるいう話です。
日本代表・本田圭佑の“個の力”
ブラジルワールドカップ出場を決めた日本代表の共同記者会見で,本田圭佑選手が「あんまりしゃべりたくはないんですが…」と言いながら,年上の今野泰幸選手を名指しで批判するという“公開説教”をしました。 そして「個の力をどう高めるか」というところに日本代表の課題があると指摘します。
(記者)ワールドカップ優勝、そしてコンフェデレーションカップ優勝を目標に掲げているが、そのために今後日本代表がどんなことが必要なのか、そして自身としてもどんなことが必要なのか? (本田)シンプルに言えば個だと思います。(中略)結局、最後は個の力で試合が決することがほとんどなので。日本のストロングポイントはチームワークですが、それは生まれ持った能力なので、どうやって自立した選手になって個を高められるかというところです。本戦出場を決めた喜びで笑いも飛び交っていた和やかなムードも,本田選手の発言で一転して緊張した雰囲気に変わったと報じられていました。
一見すると,和を乱す行為であり,協働原理を軽視して競争原理を持ち込もうとしている発言であるかのようにも見えます。
しかしこれは明らかに,「集団のパフォーマンスを高める知識と技術」に裏打ちされた発言です。
ポイントは,個人のインタビューでの発言ではなく,日本代表のメンバーが勢揃いしている記者会見の場で,他のメンバーがじかに本田選手のことばを聞くことになる状況下での発言であるということです。
また,苦言を呈する前に,今野選手のプレーの良さをしっかり褒めながら,1人1人の課題に具体的に言及しているところも見落とせません。
個というのは、昨日ゴールキーパーの川島選手がしっかりと1対1を止めたところをさらに磨く。今野選手がケーヒルに競り勝ったところをさらに磨く。佑都と真司がサイドを突破したところ、そこの精度をさらに高める。ボランチの2人がどんな状況でも前線にパスを出せるように、そして守備ではコンパクトに保ち、ボール奪取を90分間繰り返す。岡崎選手や前田選手が決めるところをしっかり決める…。
自分の力を向上させ,自分の格付けを上げることだけを考えるのであれば,チームメイトの名前を一人ずつあげて,こんなことを言う必要はありません。
自分の憤懣をぶつけるだけの陰口や個人攻撃ではなく,チームメイトがじかに聞くことができる状況で語ったことの意味は小さくありません。
周りの選手のパフォーマンスを高めるために(=個の力を伸ばすために),〈いま・ここ〉で自分が何をなすべきかを鋭く見極めた発言であったと言えるわけです。
そしてもうひとつ忘れてはいけないのは,周りの選手の“個の力”を伸ばす本田選手のこのスピーチは,記者会見の場にいない日本代表以外のサッカー選手に“個の力”を伸ばすための強烈なエールにもなっていることです。
好き嫌いで言うと,中田英寿選手や本田圭佑選手のようなタイプはあまり好きではないのですが,今回の「個の力」発言はなかなかどうして,大したものだと感じ入りました。