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震災後文学論(1)―芥川龍之介

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関東大震災と芥川龍之介

 昭和文学のはじまりを象徴する出来事として,関東大震災芥川龍之介の死をあげることができます。

 大正12年9月1日と昭和2年7月24日。1923年と1927年。およそ4年の時を隔てた2つの出来事は,一見まったく無関係にも見えます。

 でも,2011年の東日本大震災から三年を経た2014年という時点に立ってみると,2つの出来事が無関係だと考える方が不自然だと思えてきます。

 「ぼんやりした不安」という言葉を遺した芥川龍之介の自殺の原因についてはこれまでにもさまざまに議論されてきましたが,どのような原因を想定するにしても「だから自殺した」と単純に結論づけることはできないでしょう。

 「或旧友へ送る手記」(『東京日日新聞』1927.7.25)に書きつけられているように,「生活難とか,病苦とか,或は又精神的苦痛とか,いろいろの自殺の動機」などと列挙するほかにはなく,大半の自殺は,たとえ引き金となる出来事を特定できたとしても,それだけが理由であると断定できるほど単純なものではないはずです。

 そこにはおそらく,本人にすら意識できない要因が横たわっています。

 そうだとすれば,芥川龍之介が「ぼんやりした不安」を感じて自殺を選び取った原因の一つに,関東大震災という出来事を想定することも可能なはずです。

 たとえば,「大震雑記」(『中央公論』一九二三・一〇)の中で芥川龍之介は「焼死した死骸を沢山見た」と語り,浅草仲見世の収容所にあった印象的な死骸にまつわる挿話を書き留めています。

 焼け残った「メリンスの布団」に足を伸ばし,覚悟を決めたようにゆかたの胸の上に手を組み合わせた「病人らしい死骸」の話です。

 苦しみ悶えた様子も見せず,唇に微笑を浮かべているのではないかと思えるような静かな死骸のたたずまいに芥川龍之介は感じ入るのですが,「それはきつと地震の前に死んでゐた人の焼けたのでせう」という妻の一言で「小説じみた僕の気もち」が興醒めになってしまいます。

 対象を描写する近代的な口語体による淡々とした文章の中にむしろ,震災後の現実に向き合いながらも作家としての矜恃を保とうとする芥川龍之介の不安定な魂が感じられます。

 同じく震災直後に書かれている「大震日録」(『女性』一九二三・一〇)と「大震に際せる感想」(『改造』一九二三・一〇)では,一転して文語体が駆使されています。

 ただし,日記という体裁のせいでしょうか,前述した「大震雑記」と同じように比較的淡々と綴られている印象の「大震日録」と比べて,「大震に際せる感想」の書きぶりには激しい感情の起伏が見て取れます。(※青空文庫の「大正十二年九月一日の大震に際して」参照)

 日比谷公園の池に遊べる鶴と家鴨とを食はしめし境遇の惨は恐るべし。されど鶴と家鴨とを、――否、人肉を食ひしにもせよ、食ひしことは恐るるに足らず。自然は人間に冷淡なればなり。人間の中なる自然も又人間の中なる人間に愛憐を垂るることなければなり。鶴と家鴨とを食へるが故に、東京市民を獣心なりと云ふは、――惹いては一切人間を禽獣と選ぶことなしと云ふは、畢竟意気地なきセンティメンタリズムのみ。
 自然は人間に冷淡なり。されど人間なるが故に、人間たる事実を軽蔑すべからず。人間たる尊厳を抛棄すべからず。人肉を食はずんば生き難しとせよ。汝とともに人肉を食はん。人肉を食うて腹鼓然たらば、汝の父母妻子を始め、隣人を愛するに躊躇することなかれ。その後に尚余力あらば、風景を愛し、芸術を愛し、万般の学問を愛すべし。

 この部分は,「地震のことを書けと云ふ雑誌一つならず。何をどう書き飛ばすにせよ,さうは註文に応じ難ければ、思ひつきたること二三を記してやむべし。」と書き出されているのですが,震災後の東京の酸鼻を極めた現実の中で,職業作家であるがゆえに書くことを強いられている芥川龍之介の,憤怒に似た懊悩が伝わってきます。

 「大震に際せる感想」は,「この大震を天譴と思へ」と言った渋沢栄一に対する反駁をモチーフとしていて,後半部には次のような言葉も書きつけられています。

 誰か自ら省れば脚に疵なきものあらんや。僕の如きは両脚の疵、殆ど両脚を中断せんとす。されど幸ひにこの大震を天譴なりと思ふ能はず。況んや天譴の不公平なるにも呪詛の声を挙ぐる能はず。唯姉弟の家を焼かれ、数人の知友を死せしめしが故に、已み難き遺憾を感ずるのみ。我等は皆歎くべし。歎きたりと雖ども絶望すべからず。絶望は死と暗黒とへの門なり。

 この小文を「同胞よ。冷淡なる自然の前に、アダム以来の人間を樹立せよ。否定的精神の奴隷となること勿れ。」と結んだ芥川龍之介自身が,皮肉にもわずか三年後に「否定的精神の奴隷」となり,「死と暗黒への門」をくぐったことを考えれば,これらの激しい言葉の中にむしろ,書き手の精神が深刻な危機に瀕している兆候を読み取らなければならないのかもしれません。


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