今年放映されている大河ドラマ「軍師官兵衛」の第1回は「生き残りの掟」というタイトルで放映されました。
新美南吉の「ごんぎつね」や夏目漱石の「こころ」など、国語科教科書に収録されている定番教材の多くが生き残りの罪障感(サバイバーズ・ギルト)をモチーフとしているのですが,テレビドラマや映画にも同じモチーフが繰り返し登場します。
中央大学の宇佐美毅さんも「『ノルウェイの森』と『家政婦のミタ』の共通点」としてサバイバーズ・ギルトという問題を取り上げています。
そしてこれらはどうやら敗戦後に特有の現象であり,日航機墜落事故や阪神淡路大震災,JR福知山線脱線事故や東日本大震災など,大規模な事故や災害が起こるたびに改めて注目され,芸術家たちの創作衝動に影響を及ぼしてきたと言えます。
しかしそれならば,応仁の乱とか関ヶ原の戦いとか,天明の大飢饉とか戊辰戦争とか,日清戦争・日露戦争とか関東大震災とか,多くの人命が一度に失われる大事件が起こるたびに同じようなモチーフに支えられた文化が生み出され,享受されてもよいのではないかと思われます。
たとえばこのブログが始まった頃,あるいはその少し後に私が「定番教材の誕生」という連載を書いた頃,ウィキペディアには「サバイバーズ・ギルト」という項目はありませんでした。
そういう問題が日本で明確に意識されるようになったのは,ごく最近のこと,せいぜいここ20年ほどのことに過ぎません。
いやもしかすると,1914年7月28日に始まった第一次世界大戦において,戦闘ストレス反応(シェルショック)という症例が問題視された頃にその淵源をさかのぼることができるかもしれません。
しかしそうだとしてもたかだか100年前のことにすぎませんし,サバイバーズ・ギルトという形で問題が明確に意識されていたわけでもありません。
中世や近世,あるいはそれよりも前の時代にサバイバーズ・ギルトが人びとを苦しめるということはなかったのでしょうか。
戊辰戦争や西南戦争,三陸大津波や関東大震災を体験した人びとがサバイバーズ・ギルトによって精神的に不安定な状態に陥るということはなかったのでしょうか。
サバイバーズ・ギルトを生み出す条件
中世や近世,あるいはもっと昔のことになるとまるで想像できないのですが,少なくとも明治時代や大正時代においては,サバイバーズ・ギルトが芸術や文化の領域で主要なモチーフとなることはなかったように思われます。 そういう傾向はやはり,20世紀後半から今世紀初頭にかけて顕著になっていると言えます。
それはいったいどうしてなのでしょうか。
ひとつには戦没者の数の違いが影響しているかもしれません。
帝国書院の戦争別死傷者数という資料を見ると,軍人・軍属の死没者数は,日清戦争が1万3,825人で日露戦争が8万5,082人であるのに対して,日中戦争は(1937~41年)18万5,647人,日中・太平洋戦争(1942~45年)では155万5,308人にものぼります。
日中・太平洋戦争の場合,軍人・軍属の死没者に加え,民間人の死没者39万3,485人が加わります。
これらの死者の周辺には,戦友を見殺しにせざるを得なかった体験を抱えた復員兵や,空襲の混乱の中で肉親や知人を見捨てて生き延びるしかなかった人たちなど,サバイバーズ・ギルトに苦しむことになってもおかしくない人びとが大勢いたはずです。
メディアが発達したことによって情報が共有され,自らが死者たちの運命に関与しているという当事者意識を持ちやすくなったということも,罪障感を生み出す要因のひとつになっているかもしれません。
一方,中世や近世の人びとは,死や死体が日常世界から遠ざけられている現代社会に比べ,昔の人びとは死や死体に慣れてしまっているぶん,いちいち罪障感など感じていらなかったということなのかもしれません。
すれ違う人と挨拶を交わすのが当たり前である地方の小さな村落とは異なり,都会の人びとが雑踏を歩いているときにいちいちすれ違う人に反応しないように,あまりにも死が身近にあり,日常的に死体(しかも腐乱した死体)を目にすることが当たり前の時代であれば,生き残りの罪障感など感じている余裕はないということなのかもしれません。
福島県の相馬中央病院で内科医をなさっている越智小枝さんの「被災地が教えてくれた現代社会の“風土病”」いうコラムです。
震災後3回目の春を迎えた今年の4月に書かれたものですが,人工物のなくなった浜の大地と自然は以前より栄えているかのようにすら見えると越智さんは書いています。震災によって見えてきたのは,自然と人間の解離だと言うのです。
福島県には滝桜で有名な「三春町(みはるまち)」という土地があります。この土地の名前の由来は、春の象徴である三種の花、梅、桃、桜が同時に咲くことから名づけられたそうです。 三春町に限らず、福島県の春は唐突に、かつ一度に訪れます。桜と梅が一斉に咲くだけでなく山吹とレンギョウの黄色もきれいに混じります。足元にはツクシと水仙と菜の花が咲き、ウグイスがさえずる中ツバメが飛び交い足元ではカエルが鳴いているのですから、こちらの俳人は季語をどうしているのだろう、と要らぬ心配までしてしまいます。 そのような春爛漫の中、インペリアルカレッジ・ロンドンの医学部6年生、アリスさんが被災地見学にいらっしゃいました。晴天に恵まれた海沿いの通りを立ち入り禁止区域まで南下するドライブをしながら、いろいろなお話をさせていただきました。 途中、真っ青な海と花盛りの山を見ながら、彼女がつぶやいた言葉が印象的でした。 「こういう景色を見ていると、人間以外の生き物はすべてが幸せそうに見えますね。人間がいかに社会的な生き物か、ということに気づきます」
「こういう景色を見ていると、人間以外の生き物はすべてが幸せそうに見えますね。人間がいかに社会的な生き物か、ということに気づきます」というアリスさんの話は確かに印象的です。
春や夏,生命が盛んに活動している時節に被災地を訪れた方なら,アリスさん言葉は実感をともなって受け止めることができるに違いありません。(写真は福島県浪江町請戸地区。地平線中央やや左の建造物は福島第一原発)
私も宮城や福島の被災地を緑豊かな季節に訪れていますから,越智さんが紹介するアリスさんの言葉を読んで「なるほどなぁ」と思いました。
ここまでは私にもすんなりと飲み込める話でした。
しかしこのあと越智さんは,自然と人間が解離しているように,人間と人間も解離しているという話を始めます。
越智さんによると,人間の中にも「失う人と“失わない”人」がいるというのです。
この話は,私にとって意表を突かれるものであると同時に,サバイバーズ・ギルトについて考えていたことに対する重要な示唆を与えてくれるものでもありました。
そこに何が書いてあり,そこから私がどのような示唆を受けたのか…ということについては,また改めて…。
気になる方は,越智小枝さんのコラムをぜひ読んでみてください。
※こちらです→「被災地が教えてくれた現代社会の“風土病”」
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